加藤&パートナーズ法律事務所

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法律情報・コラム

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イビデン事件(最高裁平成30年2月15日判決・判時2383号15頁)⑴

 第101回企業法務研究会において,最高裁平成30年2月15日判決・判時2383号15頁(イビデン事件,以下「本判決」といいます。)を取り上げました。

 本判決は,法人格が異なる親会社・子会社間におけるグループ内部統制に関する争点が問題となった事案です。

 本判決の原審は,コンプライアンス体制の整備により,グループ会社の全従業員に対して,コンプライアンスに則った解決をする一般的な義務を認めていましたが,本判決は,このような原審の判断を修正しました。

 他方,本判決は,原審の判断を修正する一方,相談窓口制度の運用を理由に,相談窓口制度の利用者に対する信義則上の義務が発生する場合を認めており,この点において注目に値する判例であるといえます。

 以下では,イビデン事件に関して,計4回に分けて説明します。

● 事案の概要

1 当事者

X(原告,控訴人,被上告人):Y4社の契約社員

Y1社(被告,被控訴人,上告人):本件グループ会社の持株会社(親会社)

Y2(被告,被控訴人):セクハラ行為をしたとされる従業員

Y3社(被告,被控訴人):Y2の使用者。Y4社に業務を発注している会社
             (Y1社の子会社)

Y4社(被告,被控訴人):Xの勤務先会社(Y1社の子会社)

2 事実関係

①Xは,平成20年11月,Y4社の契約社員として雇用され,Y1社の事業場内にある工場(以下「本件工場」という。)で,Y4社がY3社から請け負っている業務に従事していた。

②Y1社は,法令等の遵守に関する社員行動基準を定め,Y1社の取締役及び使用人の職務執行の適正並びにY1社のグループ会社(以下「本件グループ会社」という。)の業務の適正等を確保するためのコンプライアンス体制を整備し,その体制の一環として,本件グループ会社の役員,社員,契約社員等本件グループ会社の事業場内で就労する者が法令等の遵守に関する事項を相談することができるコンプライアンス相談窓口を設け,当該相談窓口に対する相談に対応するなどしていた。

③Xは,本件工場で勤務していた際にY3社の課長職にあったY2と知り合い,平成21年11月頃から交際を始めたが,平成22年7月頃までに,同人に対し,関係を解消したい旨記載した手紙を渡した。ところが,交際をあきらめきれず,Y2は,平成22年8月以降,Xの自宅を押し掛けるなどした(以下,XがY4社を退職するまでの行為を「本件行為1」という。)。

④このため,Xは,上司に対し,Y2に本件行為1をやめるよう注意してほしい旨相談したが,対応してもらえなかったことから,Y4社を退職し,派遣会社を介してY1社の別の事業場内における業務に従事した。

⑤Xが退職後も,Y2は,Xの自宅付近において,Y2の自動車を停車させるなどの行為を行った(以下,これを「本件行為2」という。)。

⑥Xが本件工場で就労していた当時の同僚であったY4社の契約社員Aは,Xから自宅付近でY2の自動車を見かける旨を聞いたことを受け,Xのために,本件相談窓口に対し,Y2が自宅の近くに来ているようなので,X及びY2に対する事実確認等の対応をして欲しい旨の申出(以下「本件申出」という。)を行った。

⑦Y1社は,本件申出を受け,Y3社及びY4社に依頼してY2その他の関係者の聴き取り調査を行わせるなどしたが,Y4社から本件申出に係る事実はない旨の報告があったこと等を踏まえて,Xに対する事実確認は行うことなく,Aに対し,本件申出に係る事実は確認できなかった旨を伝えた。

3 訴訟の経過

 Xは,Y2のなした一連のセクハラ行為により精神的な苦痛を被ったとして,①Y2に対しては,不法行為に基づく損害賠償請求として,②Y3社に対してはY2の不法行為に係る使用者責任に基づく損害賠償請求として,③Y4社に対しては,雇用契約上の安全配慮義務違反又は雇用機会均等法第11条第1項所定の措置義務違反を内容とする債務不履行責任に基づく損害賠償請求として,④Y1に対しては,安全配慮義務としての上記措置義務違反を内容とする債務不履行ないし不法行為に基づく損害賠償請求として,慰謝料等の支払いを求め,提訴した。

 一審は,セクハラ行為がなかったとして請求を棄却した。原審(名古屋高裁平成28年7月20日・金判1543号15頁)は,セクハラ行為があったと認定し,Y2ないしY4社の責任を認め,Y1社については要旨次のとおり判断し,債務不履行に基づく損害賠償請求を一部認容した。

①Y1社は,コンプライアンス体制を整備して,コンプライアンス相談窓口を設けて対応するなどしており,これらのことは,本件グループ会社に属する全従業員に対して,直接又はその各所属するグループ会社を通じてそのような対応をする義務を負担することを自ら宣明して約束したものというべきである。

②しかるところ,Xを直接雇用していたY4社は,コンプライアンス体制による対応義務を履行せず,また,Y2を直接雇用していたY3社も同様である。

③また,Y1社自身もセクハラ行為の事後ではあるが,それによるXの恐怖と不安が残存していたといえる時期に,Aがコンプライアンス相談窓口に調査及び善処を求めたのに対し,Y1社の担当者らがこれを怠ったことによって,Xの恐怖と不安を解消させなかったことからすると,Y1社は,Y2のした不法行為に関して自ら宣明したコンプライアンスに則った解決をすることにつき,Xに対し債務不履行に基づく損害賠償責任を負うべきものと解される。

 これに対し,Y1社が上告受理の申立てを行った(なお,Y2ないしY4社については確定。)。

4 本判決‐破棄自判(控訴棄却)‐

 最高裁は,Y1社の責任について,要旨次のとおり判示した。

⑴ Xは,勤務先会社の指揮監督の下で労務を提供していたのであって,Y1社は,Xに対し,指揮監督権を行使する立場にあったとか,Xから実質的に労務の提供を受ける関係にあったとみるべき事情はない。

  Y1社において整備したコンプライアンス体制の仕組みの具体的な内容が,勤務先会社が使用者として負うべき雇用契約上の付随義務をY1社自らが履行し又はY1社の直接間接の指揮監督の下で勤務先会社に履行させるべきものであったとみるべき事情はない。

  以上によれば,Y1社は,自ら又はXの使用者である勤務先会社を通じて,本件付随義務(※使用者が就業環境に関して労働者からの相談に応じて適切に対応すべき義務)を履行する義務を負うものということはできず,勤務先会社が本件付随義務に基づく対応を怠ったことのみをもって,Y1社のXに対する信義則上の義務違反があったものとすることはできない。

⑵ もっとも,Y1社は,本件相談窓口を設け,相談への対応を行っていたものである。このことからすると,本件グループ会社の事業場内で就労した際に,法令等違反行為によって被害を受けた従業員等が,本件相談窓口に対しその旨の相談の申出をすれば,Y1社は,相応の対応をするよう努めることが想定されていたものといえ,上記申出の具体的状況いかんによっては,当該申出をした者に対し,当該申出を受け,体制として整備された仕組みの内容,当該申出に係る相談の内容等に応じて適切に対応すべき信義則上の義務を負う場合があると解される。

  本件についてみると,Y1社が本件行為1について本件相談窓口に対する相談の申出をしたなどの事情がうかがわれないことに照らすと,Y1社は,本件行為1につき,本件相談窓口に対する相談の申出をしていないXとの関係において,上記信義則上の義務を負うものではない。

  また,Y1社は,本件行為2に関する相談の申出(本件申出)を受け,Y3社及びY4社に依頼してY2その他の関係者の聞き取り調査を行わせるなどしたものである。本件申出は,Y1社に対し,Xに対する事実確認等の対応を求めるというものであったが,本件法令遵守体制の仕組みの具体的内容が,Y1社において本件相談窓口に対する相談の申出をした者の求める対応をすべきとするものであったとはうかがわれない。本件申出に係る相談の内容も,Xが退職した後に本件グループ会社の事業外で行われた行為に関するものであり,Y2の職務遂行に直接関係するものとはうかがわれない。しかも,本件申出の当時,Xは,既にY2と同じ職場では就労しておらず,本件行為2が行われてから8か月以上経過していた。

  したがって,Y1社において本件申出の際に求められたXに対する事実確認等の対応をしなかったことをもって,Y1社のXに対する損害賠償責任を生じさせることとなる信義則上の義務違反があったものとすることはできない。

● 異なる2つの義務が問題となっていること

1 はじめに

 本判決の原審は,子会社従業員の行ったセクハラ行為に関して債務不履行に基づく損害賠償責任を負うべきものと解される旨述べて,親会社の責任を認めました。

 他方,本判決は,結論としては債務不履行責任,又は不法行為責任のいずれの責任も認めなかったものの,具体的な判示内容を見ると,子会社従業員の不祥事について,親会社が責任を負う余地を認めているように見受けられます。

 そのため,以下では,親会社が子会社従業員の不祥事について,いかなる場合に法的責任を負うのかについて検討します。

2 原審及び本判決が認定した義務

 原審では,「被控訴人(Y2)のした不法行為に関して自ら宣明したコンプライアンスに則った解決をすることにつき,控訴人(X)に対し債務不履行に基づく損害賠償責任を負うべきものと解される。」と判示し,親会社の責任を認めました。この点,原審は,「自ら宣明したコンプライアンスに則った解決をする」義務(以下「本件コンプライアンス義務」といいます。)がいかなる法的性質を有する義務であるのかについて明確に述べていませんが,最高裁は,上記原審の判示について,人的,物的,資本的に一体といえる本件グループ会社の全従業員に対して,直接又はその所属する各グループ会社を通じて相応の措置を講ずべき信義則上の義務であると整理しています。

 そのうえで,本判決では,Y2に対しその指揮監督権を行使する立場にあったとか,Y2から実質的に労務の提供を受ける関係にあったとみるべき事情はないこと,及び法令遵守体制の仕組みの具体的内容も勤務先会社が負うべき雇用契約上の付随義務を親会社自らが履行し又は親会社の直接間接の指揮監督の下で勤務先会社に履行させるものであったとみるべき事情はうかがわれない等の理由から,本件コンプライアンス義務違反がないと判断しました(上記本判決の⑴の部分。)。

 かかる判示に引き続き,本判決では,「もっとも」として,本件相談窓口制度(親会社のコンプライアンス体制の一環として整備されていた,本件グループ会社の役員,社員,契約社員等本件グループ会社の事業場内で就労する者が法令等の遵守に関する事項を相談することができる相談窓口の制度)に言及し,相談窓口に対する申出の具体的状況いかんによっては,当該申出に係る相談の内容等に応じて適切に対応すべき信義則上の義務を負う場合があると述べ,原審が認めた本件コンプライアンス義務とは異なる信義則上の義務違反の有無について検討を行っています(上記本判決の⑵の部分。)。

 以上まとめると,本判決は,本件グループ会社の全従業員に対して,直接又はその所属する各グループ会社を通じて相応の措置を講ずべき信義則上の義務),及び相談窓口に対する申出に対して適切に対応すべき信義則上の義務の2つの義務に着目して,親会社の責任の有無を検討していることがわかります。

 具体的な親会社の義務に関する検討については,イビデン事件(最高裁平成30年2月15日判決・判時2383号15頁)⑵以降で説明します。

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