加藤&パートナーズ法律事務所

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法律情報・コラム

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未払賃金請求権の消滅時効が2年から3年へ伸長

1 概要

 令和2年4月1日から,未払賃金請求権の消滅時効(労働基準法115条)が,2年から3年へと伸長されることになりました。同年4月1日以降に支払われる賃金が適用の対象となります。

 近時,働き方改革等により労働者の権利意識が高まっており,未払賃金の請求に関する紛争も今後ますます増加すると考えられるところ,この労働基準法の改正により消滅時効が伸長され,令和4年以降はひとつひとつの紛争における請求の額も大きくなることになります。この労働基準法の改正が使用者に与える影響は決して小さくないといえるでしょう。

 さて,同日から施行される「民法の一部を改正する法律」(いわゆる改正債権法,平成29年6月2日公布)において,旧民法上定められていた職業別の短期消滅時効の制度(旧民法170条~174条)を廃止し,一般的な債権の消滅時効を原則5年(詳しくは後述します。)とする,消滅時効制度の大きな改正がなされました。

 今回,労働基準法上の未払賃金請求権の消滅時効について時効期間が伸長されたのは,このような民法上の消滅時効制度の改正を受けて,労働基準法上の未払賃金請求権についても時効制度の内容を見直す必要があるとしてその在り方が再検討されたためです。

2 民法上の消滅時効制度について

⑴旧民法における消滅時効制度

 改正前の旧民法においては,消滅時効制度は,一般的な債権の消滅時効は10年で完成すると定める一方で,職業別に1年~3年の短期の消滅時効を定めるという制度となっていました。

 当時は,旧民法170条~174条に挙げるような債権(使用人の給料債権等,仕事の対価として発生する債権)は頻繁に生じるもので,ひとつひとつは少額である上に,受取証書が交付されないか,又は,交付されたとしても長期間保存されないことから,これらの債権の存在は不明確なものとなりやすく,紛争の火種となりうるものでした。そのため,これらの債権については,一般的な債権とは別に短期の消滅時効を定め,早期に法律関係を確定して紛争リスクを低くする必要があると考えられていたのです。

<旧民法の消滅時効制度>

一般的な債権の消滅時効

(旧民法166条,167条)

権利を行使することができる時

から,10年

職業別の短期消滅時効

(旧民法170条~174条)

職業ごとに1年~3年

例)使用人の給料債権につき,

  1年(174条1号)

⑵改正民法における消滅時効制度

 しかし,現代においては,当時とは異なり,これらの債権の存在を証拠等によりある程度明確化できる状況にあるから,必ずしも早期に法律関係を確定する必要性があるとは言いがたいため,改正民法においては,職業別の短期消滅時効に関する規定を削除することとなりました。

 とはいえ,旧民法の規定上,短期消滅時効の規定を廃止すると,時効期間は一律に10年となることになりますが,これまで1年~3年であった消滅時効期間が大幅に長期化することによって,証拠保存のための費用の増加等の問題も生じうるため,「債権者が権利を行使できることを知ったときから5年」という主観的起算点による消滅時効期間をも設けることとなったのです。

<改正民法の消滅時効制度>

 ①債権者が権利を行使することができることを知った時

  (主観的起算点)から5年

 ②権利を行使することができる時

  (客観的起算点)から10 年

3 労働基準法上の未払賃金請求権の消滅時効制度について

⑴改正前の労働基準法における消滅時効制度

 他方,改正前の労働基準法では,労働基準法に定めのある賃金(退職手当除く),災害補償その他の請求権の消滅時効を2年,退職金手当の消滅時効を5年と定めていました(改正前労働基準法115条)。

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(厚生労働省労働基準局労働条件政策課作成の資料より抜粋)

 上述のとおり,賃金請求権の消滅時効期間については,法律関係の早期確定の必要から,改正前の旧民法において1年と定められていました。しかし,労働基準法が制定された昭和22年頃には,賃金台帳の備えつけ等により賃金請求権の存在がある程度明確化されていたため,法律関係の早期確定の必要性は高くはなくなっており,労働者の権利保護のためにも,労働基準法上,賃金請求権の消滅時効を2年とすると定められました。

 しかし,上述のとおり,今回の民法改正において,旧民法上の消滅時効制度の設計が見直され,職業別の短期消滅時効そのものが削除されることとなりました。そこで,労働基準法の消滅時効制度についても,再度見直す必要があるのではないかという意見が出され,厚生労働省の設置する審議会において検討されることとなったのです。

 そうはいっても,労働基準法115条が旧民法に定めのある賃金請求権以外の請求権をも対象としていることからわかるとおり,あくまで民法の消滅時効制度と労働基準法の消滅時効は別個の制度です。審議会においては,賃金請求権の消滅時効期間を改正民法と異なる定めとする合理性があるか,賃金台帳等の記録の保管期間及び付加金の請求期間についても賃金請求権と同じくすることが妥当か,という観点から検討されました。

⑵審議会での主たる検討内容

①賃金請求権の消滅時効の起算点

 賃金請求権の場合は,基本的には,客観的起算点と主観的起算点は一致します。賃金請求権の客観的起算点は賃金支払日であるところ,賃金支払日は,使用者が,労働条件通知書,労働契約や就業規則等により労働者に対して明示しなければならない事項であるため(労働基準法15条及び労働基準法施行規則5条),労働者は基本的には賃金支払日を知っており,主観的起算点も賃金支払日であるからです。

 もちろん,例外的に客観的起算点と主観的起算点が一致しない場合は考えられますが,主観的起算点の「知ったとき」の解釈が今後紛争となり得ること等といった理由から,改正民法のように客観的起算点とは別に主観的起算点による消滅時効を定めるのではなく,現行の客観的起算点による消滅時効制度を維持すべきであるとされました。

②賃金請求権の消滅時効期間

 確かに,賃金請求権は定期的に大量に発生する債権であり,消滅時効が伸長した場合には,企業の紛争リスクが極めて大きくなることから,企業の労務管理の在り方に大きな影響を与えかねません。とはいえ,企業による労務管理のコストは,IT化により以前よりは小さくなっています。

 そもそも,労働基準法は労働者保護を目的とするものであるから,賃金請求権が改正民法の定める一般的な債権より早期に時効により消滅することは望ましくありません。労働者が未払賃金を請求する際には,資料の収集,整理等が必要であり,2年の消滅時効では短いという実態もあります。

 このような事情に鑑み,審議会においては,賃金請求権の消滅時効は原則として5年とされました。

 ただし,上述のとおり,賃金請求権の消滅時効を2年から5年に伸長すると,企業の労務管理等に与える影響が大きくなることから,差し当たって,令和2年4月1日からは,2年から3年へ伸長することになりました。

 賃金請求権の消滅時効が3年への伸長となったのは,現行の労働基準法上の記録の保存期間が3年であり(労働基準法109条),3年への伸長であれば,企業の記録保存に係る負担を増加させることがないためです。

 なお、改正労働基準法の施行から5年後に、賃金請求権を3年から5年に伸長すべきか否かについて、再度審議されることとなるようです。

③その他

 賃金請求権の消滅時効が伸長する場合には,これに併せて,賃金台帳等の記録の保管期間(労働基準法109条),付加金請求の期間(労働基準法114条)も伸長する必要があるため、今回の労基法の改正において、3年と定められました。

⑶まとめ

 以上のとおり,賃金請求権の消滅時効は,差し当たって,令和2年4月1日から,2年から3年へと伸長することになりました。

 審議会の審議の経過に鑑みれば,ゆくゆくは,賃金請求権の消滅時効は原則として客観的起算点から5年と定められることになる可能性が高いと考えられます。

 賃金請求権の消滅時効に関する労働基準法の改正は,未払賃金請求の請求額の増額,企業の労務管理コストの増大等,様々に大きな影響を与えるものであるため,今後もその動向に留意する必要があるでしょう。

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