加藤&パートナーズ法律事務所

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法律情報・コラム

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日本ケミカル事件(最高裁平成30年7月19日・裁時1704号6頁,固定残業代の有効性)

 第101回企業法務研究会では,固定残業代の有効性に関して新たな判断枠組みを提示した日本ケミカル事件を研究テーマに取り上げました。

 以下では,当該事件に関して説明します。

● 事案の概要

 会社に雇用され,薬剤師として勤務していた労働者が,会社に対して,時間外労働,休日労働及び深夜労働(以下「時間外労働等」という。)に対する賃金及び付加金等の支払いを求めた事件です。なお,会社は,労働者に対し,時間外労働等に対する割増賃金を支払う趣旨で,「業務手当」の名目で,定額残業代を支払っていました。

 原審(東京高裁平成29年2月1日判決・労判1186号11頁)は,定額残業代の支払いを法定の時間外手当の全部または一部の支払いとみなすことができるのは,定額残業代を上回る金額の時間外手当が法律上発生した場合にその事実を労働者が認識して直ちに支払いを請求することができる仕組み(発生していない場合にはそのことを労働者が認識することができる仕組み)が備わっており,これらの仕組みが雇用主により誠実に実行されているほか,基本給と定額残業代の金額のバランスが適切であり,その他法定の時間外手当の不払いや長時間労働による健康状態の悪化など労働者の福祉を損なう出来事の温床となる要因がない場合に限られると判示し,本件では,業務手当が何時間分の時間外労働に当たるのかが伝えられていなかったこと等を理由に,業務手当の支払を法定の時間外手当の全部又は一部の支払いとみなすことはできないと判断しました。

 これに対し,会社が上告しました。

● 本判決

 原審に対し,本判決は,労働基準法第37条や他の労働関係法令が,当該手当の支払いによって割増賃金の全部または一部を支払ったものといえるために,原審が判示するような事情が認められることを必須のものとしているとは解されないと判断して,原審の考え方を採用しませんでした。

 その代わりに,本判決は,「雇用契約においてある手当が時間外労働等に対する対価として支払われるものとされているか否かは,雇用契約にかかる契約書等の記載内容のほか,具体的事案に応じ,使用者の労働者に対する当該手当や割増賃金に関する説明の内容,労働者の実際の労働時間等の勤務状況などの事情を考慮して判断すべきである」と判示し,固定残業代の有効性に関して,新たな判断枠組みを提示しております。

 そのうえで,本判決は,契約書や賃金規程等において,「業務手当」が時間外労働に対する対価として支払われる旨が記載されていたこと,会社と原告(被上告人)以外の会社の従業員との間で作成された確認書にも,業務手当が時間外労働に対する対価として支払われる旨が記載されていたこと,及び業務手当が1か月あたりの平均所定労働時間(157.3時間)を基に算定すると,約28時間分の時間外労働に対する割増賃金に相当するものであり,会社における実際の時間外労働等の状況と大きく乖離するものではないことを指摘して,「業務手当」が時間外労働等に対する賃金の支払いであることを認めました。

● 固定残業代とは

 固定残業代とは,時間外労働に対する割増賃金をあらかじめ月々の基本給に組み込み,あるいは一定額を手当として支給する制度のことです。

 固定残業代を導入することによって,計算された割増賃金の金額から支払い済みの固定残業代の分を控除することが可能となります。

 もっとも,労働紛争では,ある手当(固定残業代)が時間外労働等の対価として支払われたものであるかという点が争点となることが多く,仮にこれが否定された場合,割増賃金の算定基礎賃金に当該手当の金額が組み込まれるとともに,支払い済みの手当(固定残業代)が控除されないことになるというリスクがあります。

● 固定残業代の有効性に関する従来の考え方

 固定残業代の有効性に関しては,これまでテックジャパン事件(最高裁平成24年3月8日判決・集民240号121頁)桜井龍子判事の補足意見に従って一般的に検討されてきました。

 同補足意見は,固定残業代の有効性に関して,次の判断枠組みを示しております。

① あらかじめ一定時間の残業手当を支払うことが雇用契約上明確にされていること

② 支給時に支給対象の時間外労働の時間数と残業手当の額が労働者に明示されていること

③ ①の一定時間を超えて残業が行われた場合に所定の支給日に別途上乗せして残業手当を支給する旨があらかじめ明らかにされていること

 本判決の原審は,これに加えて,基本給と定額残業代の適切なバランスやその他労働者の福祉を損なう出来事の温床となる要因がないことをも求めており,さらに要件を加重していました。

● 本判決以降

 実務上,これまでの間,前記櫻井龍子判事の補足意見に従って,給与明細に何時間分に相当する賃金であるかを明記していなければ固定残業代は無効であると解されていました。

 しかしながら,前記のとおり,本判決では,手当が時間外労働等に対する対価として支払われるものとされているのであれば,有効な固定残業代と認めるものとしていることから,何時間分に相当する賃金であるかが明記されていなかったという形式的な不備のみをもって,固定残業代が無効とされ,多額の割増賃金を支払わざるを得なくなるリスクは一定程度軽減されたものといえます。

 今後,固定残業代を既に導入し,または導入を考えている会社は,本判決が述べるように,支給し又は支給しようとしている手当が時間外労働等に対する対価として支払われるものとされているか否かという見地から,固定残業代の見直しないし制度設計を考えていく必要があると思われます。

 具体的な方法としては,例えば手当の名称を「固定残業手当」や「定額残業手当」などとして固定残業代としての支払であることが一見して明らかにしておく方法をとることが考えられます。そのうえで,固定残業代として支給する趣旨の手当であることが労働者に対してわかるように,雇用契約書や賃金規程に明記しておくことが望ましいでしょう。

 ところで,本判決では,業務手当の額に相当する時間外労働数(月約28時間)と労働者の実際の時間外労働の状況が大きく乖離していないことが考慮されているところ,例えば固定残業代が月80時間ないし100時間に相当する額とされた事例においていかに解すべきかについては,今後の事例集積が待たれます。

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